この内容は、会報「教育のひろば石川・№142(平成28年2月発行)」に掲載したものです。
座談会開催のための「趣旨と主な視点」
今、教育現場で先輩教師が語ると「そんなやり方(指導法)は…」という言葉を聞く。そんな時、「今、何を目的に学習指導をしているのか、子ども達の目に輝きはあるのか」と心配になる。
平成25年秋頃、JR北海道の線路未点検が問題になった。未点検の数の多さに驚いていた中、その原因究明の一つとして、「JR北海道は赤字路線が多く、新規採用する余裕がなく、KNOW-HOWが引き継がれなかった。」とコメントがテレビで流れた。考えてみれば教育界でも教育の伝承が危惧されている。
JR北海道が陥った危機から、教育界が学ばなければならないのは、「経験豊富な先輩教師の指導法・教育観を受け継ぐ機会を少しでも持つことだ」と考える。その先輩とは、「詰め込み教育」→「ゆとり教育」→「生きる力教育」→「学力重視教育」を体験し、激動の教育界を歩んできた教師達が最適である。
会報に掲載する座談会は、「先輩教師達が求めてきた授業とは何か」、「子どもが目を輝かせる授業づくりのために」等々を話し合う場にしたいと考えた。今年度は国語科と算数科をお招きして座談会を行い、教育振興に寄与できることを願っている。
「平成27年11月28日(土)文教会館」開催 座談会メンバー
○司 会 野田 大介 氏(石川県退職公務員連盟事務局長、元小教研社会)
○出席者 ・伊藤 洋子 氏(石川県文教会館事業課長、元小教研国語)
・小山 孝成 氏(元金沢市市立諸江町小学校長 元教研算数)
・太田 秀人 氏(金沢市立諸江町小学校教頭 小教研算数)
・高木 欣子 氏(金沢市立小立野小学校校長 小教研国語)
〇挨 拶 清水 弘 氏(石川県教育振興会会長)
○記録者 中泉 隆子 氏(教育プラザ富樫 研修指導員)
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出席メンバー
文教会館「応接室2」
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司会者
野田 大介 氏 (石川県退職公務員連盟事務局長、元小教研社会)
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参加者
伊藤 洋子 氏
(石川県文教会館事業課長、元小教研国語) -
参加者
小山 孝成 氏
(元金沢市市立諸江町小学校長 元教研算数) -
参加者
高木 欣子 氏
(金沢市立小立野小学校校長 小教研国語) -
参加者
太田 秀人 氏
(金沢市立諸江町小学校教頭 小教研算数) -
挨拶・記録者
清水 弘 氏
(石川県教育振興会会長)
中泉 隆子 氏
(教育プラザ富樫 研修指導員) -
出席者メンバー
文教会館「応接室2」
子どもが目を輝かせる授業
~小学校国語科・算数科の先生を招いて~
司会 今日のテーマは、子どもが目を輝かせる授業ということで、国語科と算数科の先生方に来ていただきました。現場の実態をもとにこれからの若い先生がめざすべき方向をさぐっていきたいと思います。
最近、学校研究や授業研究の高まりや若い先生の頑張りを感じています。しかし、頑張る方向が見えていないという声も聞きます。今日は先輩の教師として、こんな方向で国語科や算数科の実践をすると良いというお話を聞かせていただくと幸いです。最初に学校研究、授業研究における若い先生方の実践の実態と課題についてお聞かせください。
高木 本校でも若い先生が増えてきました。授業実践を積み重ねていますが悩みも多いと思います。そんな中で、熟練した先生に学ぶことが大事だと思います。また、そんな機会を学校の中でも意図的に取り入れるようにしています。以前でしたら、自分から隣の先生の授業や板書を見させていただくことも多かったですが、今は、学校でOJTという形で、板書ツアーであったり、フラット週間という形で、若い先生方に授業を見る機会や板書を通して学ぶ機会を作っているのが現状です。
太田 私の学校は、毎年新採の教員が2名ほど入ってくる 大規模校です。最近の若い教師はいろいろなマニュア ルをよく知っています。授業技術は私の若い頃から見たら高いと思います。教材研究もしっかりしていますし、教室の掲示や学習履歴などにも若い時の研修が成果として現れています。ただ、授業だけではなく、人間教育という営みの中での教育技術については、昔と比べるとずれてきている気がします。例えば、子どもが悩んでいる時に声をかけるタイミングやその時の子どもの表情を見てどんな言葉を選ぶかなど、目に見えない部分というのは、正しく引き継がれていないのではないかと最近感じています。以前の先生方は、そういう部分も含めて全部吸収しようと自ら求めてきました。今は、マニュアル化されたことだけを吸収しようとして、その裏にある部分を吸収することができていないと思います。昔は言わなくてもよかったことを、今は、「こういう時はこうしらたいいよ」と言わなくてはいけなくなりました。それは、授業や生徒指導面だけではなく、保護者対応や地域の人達と接する場面でもそうです。人として付き合っていく時の教育技術の引き継ぎを、具体的にしていかなくてはなりません。
司会 お二人の先生のお話は、学生時代や教員養成段階、教員になってからの研修などいろいろ勉強する機会がありますが、あまりにもマニュアル化し、親切すぎる研修になっている。本当に生きた子どもと出会った時に対応する力が弱いということだったと思います。
小山 私は、今、学校からの要請で研究授業を中心に算数の指導に出ています。子ども達が目を輝かせる授業とは、「全員参加の授業」であり、「子が生きる授業」でもあると言えます。しかし、そのような授業の実現はなかなか難しい状況にあります。その理由を考えると「算数の授業以前の学級経営に課題がある場合が多い」ようです。その課題を解決しないまま「自分達で考えてごらん!」と子ども達に任す先生もいますが、なかなか上手くいきません。学級経営が伴っていないからです。学級経営が上手くいかないと授業は上手くいかないのです。先生方で悩んでいる人も多いのではないでしょうか。それについて「どんな手立てを取ったらいいのか」を先輩や要請されて出向いた者が指針を示す必要があります。子どもの立場で言えば、「友達の意見をしっかり聞ける」「友達に分かってもらおうとしっかり話せる」「間違いを指摘されても、それを受け入れらる」「友達の不十分なところを指摘できる」など、算数科だけに限ったものではありません。それがなされて初めて「目を輝かせる授業」になるのです。これについては、教員の経験年数にかかわらずベテランでも悩んでいます。授業というよりも授業に至るまでの手立てが、まず大切であると思います。
伊藤 3月末まで、いしかわ師範塾で、石川の教員をめざす大学生や講師の皆さんと関わる仕事をしておりました。受講生はとても意欲的で実に良く勉強をしていました。書店でも授業展開のマニュアル本が出ていますし、課題や発問などの流れを理解している受講生が多いです。パターンとしての対応はできるのですが、やはり、主要発問を順に問うだけでは、子どもの目は輝きません。一律的な対応では、分からない子も出てきて、だんだん飽きてきます。教師の発する問いが一人一人の子どもに届いているか、子どもの理解の程度や子どもの心の状況をつかみながら展開していくことが、若い先生には難しいと思います。
司会 子どものつまずきや誤りは非常に大切です。子どもの中に学びをつくっていくきっかけになります。教師と子どもとの共感的な人間関係や子どものよさを見つける発見的な関係が基本にあり、そこに教材が入ってくる。教材を通しながら子どもが真剣に考えた時に、人間として成長します。それができないと目を輝かせる授業には至らないのではないでしょうか。
小山 私は、先輩から「どんな算数をめざすのか」と問われる中で、「子どもと創る算数のスタンスを持て」と言われました。先生主導で授業を創るのではなく、今、子どもと共に創ることがなかなか難しく、それで悩んでいる先生も多くいます。
高木 最近、「子どもから学ぶ」ということが現場であまり聞かれなくなったように感じます。以前は、子どもから学ぶということが中心だったと思います。現在は教えるが先にあるように感じますが、基本は子どもから学ぶことです。今はその意識が薄くなりました。教えてあげようとする気持ちの方が強くなっています。子どもの立場に立って考えようとすることが弱くなっているのではないでしょうか。
司会 今までのお話から、「若い教師は頑張っているけどマニュアル化している」「自分から切り拓く」「子どもから学ぶ」「子どもと共に歩む」がキーワードとなりますね。若い先生だけの問題ではなく、子ども達が置かれている状況からも出来にくくなっているということでしょう。
太田 「子どもと共に歩む」とか「子どもと共に創る」いう言葉は分かりやすく受け入れやすく、理想とするところですが、実際どんなことなのか具体的には分からないし見えにくいものです。私は自分自身、手探りでいろいろやってきました。失敗から学び、失敗をエネルギーに変えてもきました。今の若い世代は失敗することを恐れています。失敗したことをエネルギーに変える力も薄れています。失敗したのは、マニュアルの不備なのか、子ども達に原因があるのか、指導法に原因があったのか、児童理解が甘かったのかなど、プロセスや自分の未熟さに、なかなか問題を置き換えられません。だから、更なる課題設定ができず、巻き返しをする熱意や創造力が生まれてこなくなってしまいます。
司会 子どもと共に創る、あるいは教師が自分から挑戦して授業を創っていく、そして、子どもから学んでいくことが課題だということですね。先輩教師やご自分の実践から、国語科、算数科を例にしながらこんな取組がいいよという話に進めていきます。
伊藤 子どもと共に創る授業、子どもと共に歩む教師、子どもから学ぶということを自分のテーマにしてきました。学ぶ主体は子どもです。教師が一方的に教えれば授業はすぐに終わります。しかし、一問一答や教師主体では力がつきません。授業というのは、「考えてみたい」「解決したい」と、子どもが自ら問いを持って、「みんなの考えを聞いてみたいな」「自分の考えも聞いてもらいたいな」という思いで授業に参加する中で、もっとやりたくなる。例えば「どうしてごんはいたずらばかりするのかな」という疑問を持った時、「ごんは独りぽっちだから」とみんなで聞き合い、話し合い、そして深まってごんに近づく。教材に心から寄り添うことで「分かった」「できた」「勉強してよかった」と学ぶ喜びを持たせる授業をしてきました。
授業の主役は子どもであり、教師は脇役です。でも、子どもの主体性を大切に指導しなければ授業は深まりません。子どもの疑問をもとに、聞き合いたくなるように、教師が支援する。そして子どもを軸に最後までいく。その過程で力をつけていくように関わるのが教師の仕事ではないかなと思います。どんな取組をしてきたかというと、特効薬はありませんが、大切なのは教材研究です。よく教材文を読みました。学習指導要領や指導書を読み、具体的に子どもにつけたい力をつかむようにしました。実際の授業では、子どもを軸に、子どもの読みを活かした展開をしてきました。教師の都合ではなく、どの子の発言も聞き取って板書に位置付けました。
先日の新聞では、石川県は学力は高いけれど、国語の授業がきらいという割合が多いということが載っていました。授業が楽しいと思えるための解決策はないけれども、言葉の力を獲得していくような授業は、子どもを軸にした教材研究です。教師が真剣に授業に取り組むと子ども達も応えてくれます。
小山 学校をまわってみると、マニュアルをもとに授業を構想しているのはかまわないのですが、学習指導要領には各教科のねらいが書かれています。例えば、3+5=8ですね。たし算の答えを覚える以前に、学習指導要領には、たし算の意味や使われ方を理解させると書いてあります。たし算の意味といわれるとどんなことなのか。ちょっと立ち止まってふり返って考えてみることは大切です。1年生が指を折って数えたしをしている。指を折って数えることが駄目なのかと考えると、数えたしがたし算の本質です。指を折って数えている姿に、教材研究をしてその本質を知って子どもに接するのと、それを知らなくて接するのとでは違いがあります。深い教材研究をしておくことで、子どもの発言や考えから得ることがあるのです。マニュアルだけを見ながらではなく、教師としての思いを持って授業に臨んで欲しいと思います。
伊藤 国語は、言葉をもとにする教科です。授業では子どもが課題を明確に持つように、そして、今何を考えているのかを明確にすることです。言葉で聞き合う、言葉で伝え合うことに心がけて欲しいと思います。常に全員の子に目を向けること。全員を巻き込むことに汗をかいてきました。1年生を初めて持ったとき、「よく考えると頭がよく動くんだね」「頭が動くとお口が動くよ」6年生では「自分の考えに友達の考えを合わせるとよく分かる」「授業が広まるし楽しい」「どんどんつながると面白い」というように、よい授業、楽しい授業ができると心がつながります。子どもを主体に国語の力をつけていくことは、人と人がつながることだと思います。
司会 お二人の先生からは、子どもの学びを大切にする。子ども達がクラスのみんなと一緒に、学んでいくことを大切にしてきたというお話でした。
高木 今、国語の授業が随分変わったと言われていますが、私は、「基本は同じだ」と思います。深い教材研究をもとに、子どもを軸にしてつけたい力は何かということを明確にして授業展開、単元構成を考えるということは以前と同じです。全員を巻き込むことも同じです。でもそのための方法が少し変わってきました。例えば、場面で読み進めていったものを、全体を通して読んでいく方法です。場面の様子の移り変わりをとらえる力をつけるには、子ども達は前の場面と比べて読む必然性が必要です。比べて読むことで自分の考えのもとになっていることが理解できます。「前は~なのに、今は~」ということは全文を通して読むことで理解できるのです。浅い読みになったとか、言葉をもとに考えていないとか活動ありきだとか思われるのは間違いです。学習指導要領をもとに、言葉に着目して読んでいく、想像を広げていくことが大切です。
司会 実際は薄い授業になってきた可能性があるのですか。
高木 初めて読んだときの部分は薄い読みと捉えられるかもしれません。ですが、何度も全文を読んでいくと、薄い読みがだんだん深くなっていきます。「国語は言葉をもとにする」というねらいは変わりません。ただ、活動ありきだけに終わることがないようにすることが大切だと思います。
太田 私は若い頃、よく算数サークルで授業をしたり、先輩の授業を見たりしてきました。どの授業も上手いかどうかよりも、味のある授業が多かったです。それは、インパクトのある教材であったり、間の取り方であったり、話術であったり、グッズであったりしました。先輩の授業を見ていると私自身も考えさせられ、わくわくどきどきしました。きっと子ども達もわくわく感どきどき感を持ちながら授業に臨んでいたと思います。今のアクティブ・ラーニングが大切にしている話し合いとかペア学習をしていたわけではありませんが、教材に出会い、今日は何を発見するのか興味深く課題設定し、解決に向けて動きがあったり、止まる場面があったり、驚きで「ワーッ」と声をあげる場面があったり、矛盾を明らかにしようと深く静かに考える場面もありました。一人一人の先輩が個性的であり、やりたいことに一本筋が通っていてぶれていませんでした。
サークル以外の授業で印象に残っているのは、速さの授業です。子どものわくわく感、どきどき感を呼び起こし、教材の本質に迫る授業でした。ゴムで巻いたおもちゃの車と電動の車を同時に走らせることからスタートしました。最初はゴム動力の車が瞬発力で先に進みますが、電動は速さが一定なので、途中でゴム動力の車を追い越します。先生から何の説明もなく「どっちが速かった?」という質問。子ども達の反応は様々です。「先に進んでいたゴム動力のスタートダッシュは速かった。でも電動が追い越したから電動が速い」など意見を出す中で何が問題なのか明らかになってきます。速い、遅いは何で決めるか。どうやって決めるのかなど、速さの本質について考えていったのです。児童一人一人が「考える面白さ」「考えが変わっていく楽しさ」を実感できる授業でした。
司会 若い先生に学んでほしい授業というのは、子どもが目を輝かせる授業であるという話になってきました。子どもがわくわくどきどきする授業をすることが教師の役割であると思います。教師が、思いやこだわりを持って子どもと教材との出会わせ方や教材研究をすることです。でも現状は、学力向上の取組と成果が学校に求められています。特に国語科、算数科においては、期待が大きい。そんな中、先生方にめざしてほしいことや先輩からのメッセージを語ってください。
小山 今、国語科も算数科も学力調査の結果が問われています。その結果をどんな形で授業に生かしていくのかについて、考えてみたいと思います。まず、危惧することは、A問題とB問題のとらえです。A問題が基本でB問題が応用ととらえられてる風潮がありますが、それは間違いです。A問題と同様に、B問題も文章題の基礎・基本なのです。今年度の夏季研修に招聘した文科省の教科調査官の方からは、文章題(B問題)は授業そのものであるとの言い方をされました。課題があって、そこに発問にあたる発話があって、そこから答えを見いだしていく。これはまさしく授業であり、日々の授業づくりに生かしていってほしいと指摘されました。また、学力調査は「マッサージと同じで、ツボをとらえて押すと気持ちが良い。ところが、ツボを外してマッサージをされると痛いだけである」。そういう風に考えてほしいとも話されました。学力調査をしっかり分析し、その結果を学校や先生方が自分達のものにして、それを授業の中で子ども達に返していく。そうすることで、子ども達が目を輝かせる授業を創ることの一助になるのではないかと思っています。
伊藤 大事なことの一つは、私達教師は実践家であるということです。とにかく目の前の子どもに力をつけていくことが教師の仕事だと思います。それを教えてくれたのは、若い頃赴任していた三馬小学校でした。先輩の先生に、「お母さんと先生の違いは何か分かるか」と聞かれました。「子どもをかわいいと思うのは、お母さんも先生も一緒。育てるのも一緒。でも、あなたはお給料をもらっている。お母さんは一生懸命育ててもお給料はもらえない。あなたは教えるプロなのよ」と続けて話されました。子どもを伸ばすことに力を注ぐのが先生の仕事です。同僚の先生から学びながら目の前の子どもに合わせた苦労をしながら、力を付けていって欲しい。私自身よりよい授業を求めてやってこれたスタートはこの先輩の言葉であり、その後も心に残る言葉をいただきました。
二つ目は、自分が受け持った子どもが何もしゃべらない、できない、動かない、積極的に学ぼうとしない原因は、先生の力量の差だということです。自分の指導力向上のために、先輩の先生、同僚から学びながら自分を高める努力をして、授業実践力をつけて欲しい。 三つ目は、子どもを伸ばすには、一人一人の子どもをよく見ることが大切です。全神経を子どもに向けなさい。目で見る、耳で聞く、身体の動きからも子どもの心をつかみなさい。「あの子、何となくやる気がないな」「声が小さいな」と具体的に一人一人の子どもをキャッチする。そして、少しでも変化したらその成長を喜ぶ。教師が子どもの成長を喜ぶことを通して、子どももやる気が出てくる。楽しいと思う授業を自分で工夫してください。
高木 先生方には、もっと自分から求めてほしいと思います。例えば、若い先生が授業を見てもらった時、「教えてください」「授業を見てどうでしたか」と自分からあまり聞きに来ません。管理職からその先生の所へ行くことが多いように思います。自分達が若い頃は、授業を見てもらった後、「ありがとうございました。どうでしたか」と聞いて教えてもらいました。教えてもらう、してもらうことが当たり前ではなく、自分から学ぶ、学び続ける教師であってほしいと思います。自分から求めたものは、自分の身につきますね。
太田 若い先生は素直で前向きです。ただ、私が求めるのは、1時間の授業の中でも、教育実践でも、自分の「売り」というか、自分しかできない部分を積み重ねていって欲しいことです。自分の実践の型ができてきたら、人と比較ができ、比較することで自分の良さや未熟さが明らかになります。
本校の校長は、若い先生と面談の際によく「あなた は、理想とする先生がいますか?」と尋ねます。まず、教師としての目標を持ちなさいということでしょう。その人を理想とすることで、その人に近づきたいというエネルギーが生まれ方向性がハッキリします。そして、実践力をつけていくためには、まず真似ることから始め、徐々にオリジナルを創り上げていくことが大切です。例えば算数でいうと、1時間の授業の流れはパターン化されてきています。そのマニュアルはまず真似て、自分のものにする必要があります。さらに、知識理解や技能的な問題を踏み越えて、数学的な考え方をメインにして解決できる問題づくりに汗をかき、試行錯誤することで自分なりの授業が確立していくと思います。それがその人のオリジナル、「持ち味」になっていくと思います。
司会 若い教員にめざしてほしいこと、頑張ってほしいことを具体的に教えてくださいました。人間教師として成長してほしいというメッセージだったと思います。そのためには、いろんな研修会で教えられるだけでなく、自分から求めなさいよ、先輩教師の後ろ姿から学びなさいよ、そして、子どもの姿から学びなさいよ、そして自分の授業実践を創っていきなさいよ、ということだったと聞こえてきました。めざす授業は、子どもが目を輝かせる授業、子どもが自己肯定感を持って自分から参加していく授業、そのために教師は何をするのか。まさに教師の工夫が、努力が必要なのですね。それがプロの教師だよというお話をしていただきました。本当に実りある座談会でした。