生徒の学びの心に火をつける授業「中学校」

この内容は、会報「教育のひろば石川・№145(平成29年2月発行)」に掲載したものです。

座談会開催のための「趣旨と主な視点」

 平成27年度は「小学校の国語科・算数科の先生」をお招きして座談会を開催しました。小学校で子ども達を指導している若い先生方の参考になるような内容を会報「142号」に掲載しました。そして、平成28年度は「中学校の国語科と数学科の先生」をお招きして、「先輩教師達が求めてきた授業とは何か」、「生徒が目を輝かせる授業づくりのために」等々を話し合う場にしたいと考えました。
 アクティブ・ラーニングが掲げられている教育現場だからこそ、小学校・中学校で指導している若い先生方が「指導力を向上させる」するためのアドバイスにつながっていけば良いと考えています。内容が教育振興に寄与できることを願っています。

「平成28年8月23日(火)文教会館」開催 座談会メンバー

○司 会   野田 大介 氏(石川県退職公務員連盟事務局長、元小教研社会)
○出席者  ・上林 雅彦 氏(元金沢市立清泉中学校長 元中教研数学)
      ・岡  朝子 氏(元金沢市立清泉中学校長 元中教研国語)
      ・寺本 弓子 氏(金沢市立泉中学校長 国語科)
      ・高島 栄治 氏(金沢市立緑中学校長 数学科)
〇挨 拶   清水  弘 氏(石川県教育振興会会長)
○記録者   山下 修一 氏(石川県教育振興会 事務局長)

生徒の学びの心に火をつける授業
中学校国語科・数学科の先生を招いて~

司会 昨年は小学校の先生方と「子どもの目が輝く授業」をテーマに話し合いました。今年は中学校版ですので、「生徒の学びの心に火をつける授業」と設定しました。話のスタートは、「中学生の現状と課題」です。
 中学校時代は人生の土台をつくる重要な時期です。一人ひとりの生徒の良さを引き出すことで、人生に明るい未来、心躍るような夢を描いてほしいと願うのですが、現状はどうなのでしょうか、自分の思いで語ってください。

高島 どの学校も、学力向上のための指導法改善に、主体的に取り組んでいます。そのことは問題はありませんが、学力調査で表れてくる学力に偏重されているという懸念があります。キャリア教育や道徳教育、体験活動を通して、心を育てていくような部分が後回しにならないよう意識する必要性を感じています。

寺本 中学生は自分を客観視できるようになる反面、単純に周囲と比べて自己肯定感が下がる年頃ですが、最近気になるのが映像メディアの影響です。各種の調査によれば、平日、ゲーム以外に携帯電話やSNSを長く(一時間以上)使うという生徒が県でも国でも増えているようで、睡眠時間や人と直接関わる機会が減ることで、さらにいろいろな力も下がっていくのではと心配です。

  中学校教師時代をふり返ると、中学生時代は一番伸びる。思考力・判断力・想像力・相手を思う気持ち・自分の良さを分かる・命の大切さを理解する、そういうことが人生の中で一番伸びる可能性が大きい時代だと思うんですね。そうした可能性の満ちた時代ですが、子ども達が伸びようとする力と、それを引き出して伸ばす教師の力と、両方のバランスがうまくとれないと子ども達を伸ばすことは難しいと思います。               そのためには、教師が子どもとしっかり向き合って、良さを見たり、抱えている問題を感じてあげる、そういう時間と心のゆとりが教師に必要だと思います。

上林 私が思うのは、昔よりも非行的な部分が少なくなった気がします。一人ひとりの子ども達の内面に持つ問題は増えてきているかもしれない。それは「学校へ行かなければならない」という気持ちが弱くなって、「別に行かなくてもいいわ」という子が何人かいるんじゃないかという気がします。学校でこんなことを学んでいこうとか、学校でこんなことを楽しみにしたいなとか、そんな割合が少なくなってきたんじゃないかなあと、ちょっと気になっているところです。      
 ですから、先生の指示、言われたことはできるけれど、その後、もう一つ自分で考えた行動ができないように感じます。教師は今の時代の子どもに対し、一人ひとりの良さをどうやって伸ばしてやるかが教員に課せられた大きな課題ではないかと思っています。

司会 補導される生徒の数が減っていると聞いています。ところが、心の問題がどんどん増えていて、児童相談所は益々忙しくなってきている。このへんが今の子ども達の姿だと思っています。目に見える非行ならある面指導しやすいけれども、子どもの内面に抱える問題については非常に難しいと思うし、そのことが不登校の増加につながっている。不登校の子どもの通う適応指導教室でも集団で関われない。まさに人と関わる力が不足している現状があります。今の子ども達は、おとなしいですか。

上林 おとなしいというか、指示されたことはきちんとできることが多いと思いますが、「自分で勉強しよう」とか「分かろう」とか、そんな自主性が少なくなってきたんじゃないかなと思います。

司会 中学生に反抗期がなくなってきている。反抗期がなかったら「親を乗り越えよう」とか「教師を乗り越えよう」という気持ちは育たないですね。親から言われたことをしていればいいんだ。そういうふうな気持ちの子どもが増えてきている。いかがでしょうか。

  「考える力」というのは、「言葉の力」と関係すると思います。自分の言葉で自分の考えや生き方を考える、将来を含めてですけれど、そういった部分が弱くなってきているんじゃないか、と感じています。また、自分に対してだけでなく、人に関心を持って「自分の居る集団とかクラスとか」を考える力というのが弱くなってきているのではないでしょうか。体験や人との会話の少ない今の時代、読書で言葉の力を磨くことは考える力を磨くことにつながります。また、学級集団や学習集団の中で、考えや意見をお互いに磨き合うことも内面的な成長につながる大事な点であることを教師は忘れずに対応したいですね。         

寺本 言葉の力の低下は大きな課題です。もっと活字に親しみ語彙を豊かにしてほしいのですが読書量については個人差が大きいようです。また、先日、ある文章の中に「言葉がどんどん音を失ってきた」という指摘があり、はっとしました。文字で同じ言葉も音声によってニュアンスが変わりますが、メールの文字だけのやりとりで傷ついたり悩んだりするケースも多いですね。

  対面した時の言葉の温かさというのは、気持ちを感じる。だけど、文字だけだとそれは伝わらない。そんな環境から長い間に影響されたものが子どもの心に及ぼすものがあるんじゃないかなと感じますね。

上林 「子どもをその気にさせられるか」がすごく大事なことです。先生が淡々としゃべっていたら重要なことでも、子どもは聞き流してしまうでしょうし、先生が豊かな表情で話さなければ、子どもは豊かな反応は示さないでしょう。先生方の子どもへの対応一つ一つの積み重ねが、子ども達の行動に表れてくるのではと思います。授業の中では、ちょっと歯ごたえのある問題を出して「わからない」という経験をさせてみるのも一手です。先生のやり方をそのまま真似て「できた」ではなく、仕組みが「分かった」という、そのやりとりの中に、先生と子どものコミュニケーションも自然に生まれてくるのではないかと思います。そのためにも、柔軟に対応する力、言葉の力は教師にとっての専門性の大きな要素といってもよいのではないかと思います。

高島 小学校の算数でつまずいて、そのまま中学校に上がってくる子どもは少なくありません。その意味において習熟度別少人数授業は、とても効果があり、その成果はでています。しかし、受験科目という制約の中で、「こうして、こうやればできる」に留まってしまうこともあります。「生徒がいろんな考えを出して、楽しくおもしろい授業」、「自分の主体的な思考をもって、じっくり考える授業」をつくることをいつも思っているのですが、なかなかそこには至りません。

司会 能力差は大きいですよね。特に、数学と物理が一番、体育もそうですね。中学生なら間違いなく、誰ができて誰ができないかを分かるはずですから、自分はこの程度の人間だと思っている。そんな自分を卑下している子ども達が、本当に本気になって、友達と一緒に勉強できるかという大きな問題が教室の中に、授業の中にあると思います。それを乗り越えて、子ども達が、その気になれるような中学校での授業ができないもんかと思いますね。
 では、先生はどうやって子ども達に向かっていけばよいのか。生徒の学びの心に火をつける授業の在り方について話を進めていきましょう。

高島 自分は数学の中で、とにかく「社会生活や普段の生活と、どんなふうに密接に、この授業、この内容がリンクできるか、つながるか」ということをいつも意識をさせていました。また、「物の考え方や発見できる力は、後でいろんなところで生きてくるんだ」といつも言っていました。

寺本 国語科では、定番教材も含め、読解を通してその作品独自の「本質的な良さ」を生徒と共有してほしい。そのためにはやはり深い教材研究が一番です。内容と表現の両面から「本質的な良さ」をとらえること。言葉の力を育てるのが国語科の使命と心得て「一語の重み」にこだわった教材研究を重ねて、「一語にこだわる生徒」を育ててほしい。具体的には、教材文をまるごと視写することから始めてほしいと思います。

  生徒の学びの心に火をつける授業という授業は、「教師が、自分が教える教材に火のような心を持って向き合えているかどうか」という教師自身の姿勢とつながってくると思うんです。また、教材を構造化できる力、それから、子どもの発言を組織化できる力、そういうふうな教師の指導技術的な力量、その二つが必要なんだろうと思います。

上林 教材研究の必要性は誰もが認めることです。数学においても、子どもにとって必要感を感じるものであれば、関心を持って課題にあたります。数学はどちらかと言えば答えが一つというふうにみられがちです。しかし、「できなかったことをもう一度やってみよう」とか「別の考え方があるかな」などの思考を要する課題を考えながら授業づくりに努めてほしいと思います。基本を教えてテストで難しい問題を出す。基本が分かったらできるだろうではなく、できない問題を授業で取り上げ、テストで調べる。そういう考え方を今後、先生方の間で検討し、子ども達の意欲につなげていくことも必要ではないでしょうか。      そして、完璧な答えでなくても生徒の発言のよさを評価してやることが、次への意欲につながります。一問一答の授業ではなかなか意欲につながりません。間違っても「こんなところはよかった」という先生のその一言の評価が、生徒に自信を持たせ、新たな自分のよさの発見にもつながってくると思います。

司会 子どもにとって価値ある教材と向き合わせるということでね。価値ある教材かどうかというのは、教師の教材研究によって決まるわけだし、自分の生活とか、自分の生き様とつなげて、子ども達がその教材をとらえたときには、子ども達は真剣になりますね。そんな授業があるといいなと思っています。        
 クラスの子ども達には能力差がある。その能力差があっても、どの子にも学びの面白さとかを感じさせる授業をする。その一つのヒントが、自分の生活と結び付けてやる。あるいは、先生が教材の良さとか表現の妙というものをきちっと子ども達に見せてあげる。結局は、先生の教材研究や教材観につながっているのですね。

上林 大きくつながってくると思います。だから、そういう面で考えて、少人数授業を生かすというのは大事なことで、二つのグループに分けて、人数が少なくなっても同じようなことをやっているようであれば、力を発揮できない子も出てくる。自分の考え方が誉められるなどの経験をどんどんさせてやることが、数学の場合の能力差を埋めるために有効であり、理解度にもつながってくると思います。

司会 国語科は、どうですか。

  国語の力というのは「一貫してつけないとつなかい」と思います。小学校から中学校へと言語教育に小中連携で取り組むことで効果が出ると思いますし、読書を通して語彙を増すこと、読む楽しさを継続できるようにすることが欠かせません。その意味で、学校図書館をもっと授業でも活用することが必要です。

寺本 国語の読解で言えば、どんな生徒でも一読だけでは「読みの不足」がある。教材研究の際、生徒の顔を思い浮かべながらそれを予測し、どんな発問で自身の不足に気づかせていくかを工夫することが大事です。国語の専門性を発揮する場であり教材研究の重要な視点だと思っています。自分も指導主事時代印象的なことがありました。            若い先生が泣きながら「私の拙い授業に一時間付き合わせるより、同じ時間、名作を読書していた方が生徒にとって価値ある時間になるのではないか」と。自分自身の授業をふり返って言葉に詰まりました。授業を読書一時間に勝る「価値ある時間」にするために問われるのが教科の専門性です。

上林 国語の力は大事だと思います。算数でも小学校一年生に「3+1はいくつ」という問題が多かったのですけれど、だんだんと「3+1になる問題をつくってみよう」とか「自分の言葉でつくってみよう」とかという授業も増えてきました。中学校でも「五角形の内角の和は何度になりますか」から、私は先に結論を与えて「内角の和は五百四十度になります。その理由を三つの方法で考えなさい」と結論を先に言う方法も考えられます。


寺本 言語化と図式化を双方向にできることも必要ですね。

上林 「行き帰り」が大事ですね。結論が分かって考えを導く場面もあるし結論に導く場面もある。そんなことが授業づくりの中ではたくさんあると思います。

寺本 教科の壁を超えた学力形成につながりますよね。

上林 学校研究を大切しなければいけませんね。。

高島 真剣に学校研究に取り組んでいますが、やはりいいもの、いい授業を見ることは大切だと思っています。 小学校の算数の授業を見させてもらっていつも思うことは、「先生が、しっかりと子どもを見取っている」ということです。「どこまで理解しているか」「今何にひっかかっているか」をきめ細かく掌握しておられます。そんな教室は、入った瞬間に「温かい空気」を感じます。子どもたちが、安心して発言できていますし、自分で思考し、必要感も含めて、自分の問いとして考えていることが伝わってきます。       
 「そうじゃないのでは」「こんなんもあるんじゃない」そんな会話が続いていく中で、子ども達自身が発見したと錯覚させる技を何度か目にして感激したこともあります。「全員参加」。「主体的な思考」。「安心して失敗できる」。こんなことを小学校の授業から、もっともっと学ばなければならないと思っています。

寺本 それはやはり「自分が向上する楽しさを実感できる授業になっている」からではないでしょうか。

上林 その前には、「子ども達との信頼関係がしっかりできている」ということ。そして、安心して間違えられる。そんな経験を子ども達がするのと、ただ単に分かりました。分かりましたでは…。一時間の中に一回でも二回でもあると一年間では大きな違いが出てくる。そして、子ども達に「なんで」という意識を意図的に作ってやると学ぶ楽しさを感じていきます。子ども達が授業を楽しまないと私は駄目じゃないかなと。今日は○○先生の授業があるという楽しみが、六時間の中に一回もなかったら子ども達は行きたくないだろうと思います。子ども達の楽しみとなる授業をつくるのが教師の専門性の一つであるという意識を持ち、課題を考えていく、そんな先生が増えてくるといいなと思っています。

司会 まさに、教師の専門性ですね。教材を見る力、どこで生徒がつまずくのか、この教材をどう見せると子ども達の心に火がつくのか、もう一つは、生徒指導、集団作りのできる先生、子どもと子どもの人間関係がつくれる、教師と子どもの人間関係が暖かい、こんな資質を持っている専門性の高い先生に出会うと、子ども達もその気になって授業に入っていくということですね。そのために若い先生たちは、「何を大事にしてほしいか」を伺いたいと思います。

高島 どんな状況でも「これで良かった」と終わるのではなく、「さらに、こうすれば良かったか」と自問自答するしんどい思いを常に続けて、どこまでも維持していくことが大事だと思っています。「こんなもんだ」と思ってしまう人もいますが、「もっと」と思って、常に自問自答を重ねてきた先生は、若々しい表情で子ども達と向き合っているし、子ども達も生き生きとしていて、その相乗効果は大きいです。自分の教科に対する専門性を常に追い求めることが、一番大切だと思います。                     
 それともう一つは、多方面に対してのアンテナを持つことも大切だと思います。生徒が「先生はあんなことも詳しいんだ」と思えるような教師であることは、大きな魅力であると自分は思います。

寺本 教材研究の際には生徒の顔を思い浮かべ教師自身がワクワクしながら教材を料理してほしい。生徒が思わず食べたくなるように。そんな、教材研究を楽しむ姿勢と、高島先生が言われた幅広い教養。それが深い教材研究にもつながります。常に好奇心を持ち内面を豊かにする努力を続け、理想としては生徒から「あんな大人になりたい」と思われる教師をめざしてほしいですね。

  「授業力の向上」とか「指導力の向上」とかはスキルで、指導を「花」として例えると、根っこにあたる部分ですね。「教育とは何か」とか「授業とは何か」とか「子どもとは何か」は大学時代に先生方は習ってきていると思うんだけれど、現場に立った時に違った場面が見えてくる。その時にもう一度学び直す。「教育とは何か」とか「授業とは何か」とか、そういう根本を学び直し、「大学時代とは違った学びというものを現場に立って学んでほしい」と思います。時代にあった教育課題というのはどんどん新しく出てくる。例えば、読解力の育成・習得探求学習、そして、今はアクティブラーニングという方向へきていますよね。そういうことにも教師自身が率先した学ぶ姿勢が欠かせないと思います。               
上林 私は、「教師にとって、保護者や生徒からの信頼を得る一番は何か」といえば授業力だと思います。「授業力なくして信頼なし」と思うので、いかに自己研鑚して自分のエリアを広げるかということを考えて教育にあたってほしいと思います。そして、子どもの指導にはマニュアルはあってもその通りやればいいというわけではありません。場を見極め、子どもの表情を敏感に感じ取り、臨機応変に対応していける力をつけてほしいと思います。真剣さと一生懸命さがあれば、たとえ失敗しても子ども達は許してくれると思います。 
 そして、国語であろうが、数学であろうが、「この子ども達に教えるのは一回きりなんだ」という教科担任としてのプライドを持ってほしいし、「私はこんな方法でやってみました。」と言えるような、常にチャレンジする教師をめざしてほしいなと思います。そんな思いを持って自己研鑽することにより、自分のセンスを磨き人間性と教科力を備えていく。そのことが、子ども達の成長にもつながっていくのではと思います。

司会 結局、「子どもと真剣に向き合う教師であってほしい」が共通した言葉であったし、常に自分というものを高めなければいけないよ。学校というのは子どもが育つだけではなくて、実は子どもと共に教師が育つ場所なんだ。と、教えて頂いたような気がします。   もう一つ重要なのは、生徒はいつも教師を見ている。この先生は私達のために真剣になってくれているか、本気なのかを見ている。そのことを決して忘れてはいけない。特に中学生は非常に大人を見る目が敏感ですので、しっかりとそれに応えられる先生になってほしい。そんな熱い思いがひしひしと伝わり、是非、若い先生方に聞いてほしいなと思いました。

平成29年度の「座談会」は、~こなす教育から創る教育へ~を予定しています。